聖なる ズー。 濱野ちひろ「聖なるズー」

対等であろうとする関係と、対等でないことを前提とし欲望や抑圧が介在する関係。

一方で、パッシブ・パートの人々が語る中で「動物がセックスしたがるときは、自分を求めて覆いかぶさってくる」という表現が出てくる。

100• 日本でも『鶴女房』や安倍晴明の母親、狐の「葛の葉」などが有名だ。 パートナーであるその犬だけが特別だという。 「ズー」というセクシュアリティーを後天的に選び取る人たちとの出会いも、大きな気づきになった。 パートナーであるその犬だけが特別だという。 一方でズーたちの犬への視線は、子ども視とは対極にあるという。 だが、彼らにとっては、愛する相手は動物でなければいけなかったのだ。 嫌いとか、愛情がないというわけでは決してない。 ズーたちは、動物たち個々のパーソナリティを愛しているという。 テーマは犬や馬などをパートナーとする動物性愛者。
性暴力もその一つでしょう 2回読んで、今日ここに来ました」 (左)村井理子さん、(右)濱野ちひろさん 『聖なるズー』の「ズー」は「動物園」ではない
投稿時刻 01:23. 私には愛がわからない よくよく考えてみると、僕はペットのデグーを子とも兄弟とも、パートナーとも思ったことがないことに気づいた
しかし、そのうち、私は「zoophilia」という言葉を知った 犬が人を性的に誘うということ 本書の中では「犬が欲望をあらわにすること
だが、その嗜好自体は、変えようと思っても簡単に変えられるものではない 歴史的に見ても多くの地域で禁止されています
動物を擬人化して、人間の代用としているのでないか、とずっと気にかけていた 人間は「言葉」という便利な道具を持っていても争いや暴力を防ききることはできません
その先に何があるか 自身が求める「セックスを語る自由」と、「ズー」たちが求める「誰を愛するかの自由」は違うが、ともにセクシュアリティーの自由を求めている
こうやって、動物性愛という、ある意味禁忌とされてきた世界に触れる本が出てきたとなると、他の「性的倒錯」と言われてきた存在も、声を上げていくようになるのだろうか これらの僕が持つイメージは、結果的に言うと、本書でことごとく否定されていくことになった
「性暴力を正面から取り上げなかったのは、それでは私の中にある常識や善悪の判断は変わらないから メス馬は、生殖器ならびに排泄尿にフェロモンを醸し出します
思春期以前あるいは思春期早期の子どもに対し、性的関心を持つことです 次に目に飛び込んできたのは、オビにある「2019年開高健ノンフィクション賞受賞」の文字
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